スポーツブランドのPUMA、もう一つの顔を楽しんでみては・・・
プーマ
■歴史
ドイツのニュルンベルク近郊のヘルツォーゲンアウラッハで靴工房を経営していたクリストフ・ダスラーは、子供のルドルフとアドルフの2人の兄弟に対して、その跡を継ぐために修行をさせた。
2人の兄弟は、水車小屋のフェルト屑とゴムチューブでスリッパを作って各地の市場で販売していた。
1920年、「ダスラー兄弟商会」を設立し、主に兄のルドルフが販売を担当し、弟のアドルフが製造を担当していた。
1924年、これまでの技術を応用して、靴紐の変わりにゴムの付いた革底の体育館シューズを開発し、翌年地元の体育協会が1万足を注文したことで利益を上げ、工場の増築が図られるようになった。
その後、世界的なスポーツとなりつつあったサッカーで使用するスパイクや知人で陸上競技のコーチであったヴァイツァーの提案による陸上用シューズの開発を行い、世界恐慌になりかけていた1928年には実に8000足を売り上げ、同年開催されたアムステルダムオリンピックでも参加者の多くはこのダスラー兄弟紹介の靴を使用していた。
しかしながら、当時のドイツは、第一次世界大戦の敗戦で各国から巨額の賠償金を請求され、ハイパーインフレーションやフランスのルール占領などにより極度に弱体化が進んでおり、1929年の世界恐慌によって深刻な経済状態へ陥っていた。
ダスラー兄弟商会もそのあおりをまともに受けて経営危機に立たされたが、1936年のベルリンオリンピック開催が決定すると、原料不足になるほどまで売り上げが急上昇していった。
しかしまた、第二次世界大戦の影響で一旦生産が規制されるようになり、1942年、兄のルドルフも兵役に徴兵された。
1948年、兄弟喧嘩で袂を分け、ルドルフは「ルーダ」を設立し、アドルフは「アディダス」を設立した。
翌年、「プーマ」に社名を変更した。このプーマとはアメリカライオンのピューマから命名されたものである。 それにも関わらずロゴマークは雌のチーターである。
代表的なシューズのラインは、1958年に採用されたものである。
その後は、ペレ、ヨハン・クライフ、ディエゴ・マラドーナなど世界的に有名なサッカー選手の活躍などがあり世界的なブランドをなった。
出典: 『Wikipedia』

